芸能関係者によると、テレサさんは「恋人だった(フランス人の専属カメラマンの)ステファン・ピエール氏(32)と一緒だった。
ピエール氏は7年来の恋人関係だった。香港やパリに滞在していた時も同棲生活を送っていた。
死因については、さまざまな憶測が飛び交ったことも事実。
遺体が運ばれたチェンマイ市内のラム病院の医師、スメット・ハンタクン氏は「94年12月にも激しい発作を起こして危篤状態に陥っていた」ことを明かしていた。
いずれにしても、テレサさんの急死は台湾、香港の放送や新聞などで連日トップで報道された。その報道内容は「アジアの歌姫の急逝を悼む内容がほとんどだった」と言うが、その一方で5月10日付の台湾「民生報」や香港「電視日報」などは、彼女に「愛滋病(エイズ)」の噂があることを大々的に報じている。
「タイ当局は急死だったことから司法解剖を求めたんですが、親族はその要求を拒否した。そういったこともテレサさんのエイズ説に拍車をかけた。
「電視日報」の情報によると、テレサさんは香港の女性映画監督と同性愛関係にあったと伝え、「これまでもエイズの噂が頻繁に出ていた」と、女性監督の顔写真入で報じていた。また、同紙によると、テレサさんはかつてこの件の取材に関して「否定も肯定もしなかった」と言う。
こういった噂に対して、テレサさんの実兄は一蹴。「テレサは9歳の時からぜんそくを患っていた」と、死因がぜんそくによる発作だったことを強調した。しかし、台湾でテレサさんの音楽や思想面で相談に乗ってきた左宏元氏は「彼女は練習の時はマイクを口につけて歌っていたが、ぜんそくなどに見られるような呼吸声は全く聞いたことがなか
った。
ぜんそくなんかで死ぬなんて信じられない」と語ったと言われ、疑惑を一段と深めた結果となった。結局、エイズ説については、スメット医師が「100%、気管支ぜんそくの発作が原因だ」と断言したしたこともあって「死因に疑問を呈する記事は消えていった」と言われる。
テレサさんの遺体は、遺族の要請で5月11日深夜に台湾・台北国際空港へと空輸された。台湾では国民的歌手だったことから、「台湾政府葬儀委員会」が発足し、5月28日に台北市第一殯儀館で国葬並みの葬儀が行われた。参列者は台湾はもちろん北京や日本からもファンが押し寄せた。その人数は3万人にも及んだ。
テレサさんの遺体は火葬ではなく土葬された。「土葬は手続きが面倒な上、厳しい。しかも狭い土地柄から土葬用の土地を取得するのは相当の資金を必要とする。功績のあった人物や高官、財閥などしか土葬を行わないのが現状だった」。
台湾の旗と国民党旗に包まれた棺は、台北市内と太平洋が一望できる北端の金宝山墓地に埋葬された。墓地の入り口の地面にはCDの形がデザインされ、ファンがテレサさんの曲を実際に聞くことに出来る設備も完備されている。
この墓地は今も綺麗に整備されている。
ぜんそくの恐怖 (窒息死)